フットサル世田谷オープン96

96、11.23〜24

地獄の2日間・・・
施設も2年目を迎え、記念の大会を開催することになりました。
この頃は、自分としても運営に自信が持てるようになり、2日間で、最大108チームを集める大会を企画し、参加チームを募集したところ、キャンセル待ちが出るほど申込があり、大会を開催することになりました。
3面コートで、2日間で108チームの大会を行うには、1日目9時〜22時まで、予選リーグを行い、2日目も9時〜15時まで予選を行い、その後、決勝トーナメントに入ります。
また、この決勝トーナメント時に、今期のチャンピオンチームを決定する大会も同時開催していたので、究極に近かったです。
参加された皆様も大変だったと思いますが、運営する側もこの時は、審判員7名と、事務局2人で、2日間の運営を行ったので、特に審判の方は大変だったと、思います。本当にありがとうございました。

脅威のチーム出現・・・
この頃の強豪チームには、Foolguns,46ers,ブロンザージュ,おのかず,サンパルメンゴ,パンツェッタなどが強豪チームでしたが、今大会には、チャンピオンシップを同時開催することもあり、ブロンザージュ、おのかず、サンパルメンゴはチャンピオン・シップに集中して参加していませんでした。
その強豪チームを驚愕させるチームが出現したのが、この大会でした。

そのチームの名前は「上町FC」です。

このチームは、東京農業大学の現役サッカー部の集まりで、若く体育会系のノリで、お喋りを楽しみながら、脅威のパフォーマンスで、優勝してしまいました。
試合前に炭酸をガブガブと飲み、もう1つの別格強豪チーム「エリースFC東京」とは明らかに、取り組み方が違いました。

エリースさんのプレーを観ている人たちは、うなり声を上げてプレーに感心するのですが、上町FCのプレーを観ている人たちは、2分に1回は笑っていました。相手チームはたまったものではなかったと思いますが、負けてからも、上町FCのプレーを観て、笑っている人たちも少なくなかったです。ある意味、運営側には困るチームでしたが、不思議な魅力のあるチームでした。
結局「上町FC」はこの頃全員3年生で、4年生になり、卒業解散するまで、1度も大会で負けなかった、不敗神話を築きました。

正直いって、このチームが参加すると、優勝することが多かったので、優勝の副賞は、みんな一人暮らしだろうから、缶詰めとか、カップラーメンの方がいいかな?と思うくらいでした。

しかし、打倒!上町を目標に他のチームの意識が変わってきたことは、確かであり、目標とされるチームでもありました。

もう1つの雄 ブロンザージュ・・・
第1回フットサル世田谷カップから、参加されているチームで、どちらかというと、皆さん昔、悪い子だったかな・・・と思われる風貌で、実際第1回の、大会の時は、相手チームと、粗悪な雰囲気になることが多く、運営側も心配事が多かったのですが、ゴールデンウィークの大会の時は、非常にフェアーなキレないチームに変わり、見事優勝をしました。
風貌は変わりなくちょっと怖い雰囲気で、メンバーチェックをしている時は、何かカツアゲにあっているような、錯覚にさえ落ちてしまうことがありました。

このチームにも、東京農大のサッカーサークルの選手が所属していて、上町FCには、対抗意識があったと思います。
翌年の「フットサル世田谷チャンピオン・シップ」では、延長VGOALまで、勝負がもつれ、唯一上町FCが、静かにプレーした瞬間がありました。
現在の活動をされているのは、不明ですが、正直きれずにプレーをする、大切さを、教えて頂いたチームです。

上町FC 番外編・・
不敗神話を築き、卒業後はそれぞれの実家に帰る為、解散をした上町FCですが、その強さが、体育館のフットサルの大会でどれくらい通用するのか興味があり、98年1月に府中市総合体育館で開催された「府中カップ」にフットサル世田谷としてエントリーしました。

ちょうどその頃(98年1月)「フットサル世田谷選抜」が、解散をした時で、フットサルとミニサッカーが違うことに、なんとなく気が付き始めた時でした。
正直、選抜チームは意見の違いから、チームが3つくらいに別れてしまい、これからどういうチームを作るか、暗中模索していた時期でしたが、それとは別に、上町FCの可能性を観てみたいと思いました。

初戦は「府中水元クラブ」です。強いチームというのは、知っていましたが、どのように強いのかは、検討がつきませんでした。
試合が始まると、ポンポンと得点を入れられています。
それでも、みんないつもの様子で、お喋りを楽しみながら、1−5の大差で負けました。ゲーム終了後。
「2位抜けあるんですよね。次頑張ります。」
3チームリーグで2位まで決勝に進めることは、みんな知っていましたが、簡単に切り替えて次の試合に挑みました。
試合前に、メンバーの渡辺竜也くんが

「これ、やりますから、見ていてください。」

と、カズのマタギをすると宣言し、実際試合中に、全然意味のないところで、

ダン!ダン!ダン!ダン!

3メートルくらい、重そうなマタギをしていました。正直観ている人もたまらず、笑っていましたが、その2分後くらいに、フットバされて、痛そうでした。しかし、自業自得でしょう。本人もケロッとしていました。
また、もう1人の秘密兵器「かつ」を忘れてはいけません。・・・
この日初めてお会いした選手なのですが、ジャージはサッカー強豪校のものを身にまとい、あまり、アップもしません。
凄い選手かなと、思い、密かな期待をしていましたが、試合中盤に出場した彼は、2分もかからずに、足がつって交替していました。先日「かつ」にお会いしたのですが、その時は本物のジュビロ磐田のジャージを身にまとってました。

予選2試合目はいつもの上町ペースで勝ち、決勝トーナメントに進みました。
1回戦は「かつ」のゴールなどもあって、勝ち上がり2回戦の相手「FIREFOX」との対戦になりました。
「FIREFOX」という名前ですが、中身は、「KYODAI」の選手が占めていました。
当時は、日系のおじさんチームだな。としか思わなかったです。

上町FCも、もう一回「府中水元クラブ」とやりたいという気持ちが強く、是が非でも、勝ちたく先制点は、コザのゴールで先制しました。

「こんなゴールですいませ〜ん。イヤーおはずかしい!」

いつものコザ節で、勝てるかなと思いましたが、その後、固い守りに攻めてがなくなり、楔から落としてシュートという基本的なパターンで点を取られ、1−3というスコアで、負けました。
敗戦後、初めて上町FCが、全員、肩を落とし、ガッカリしている姿を観て、改めてフットサルの奥の深さを実感しました。

上町FCはその後解散をしましたが、その年のチャンピオンシップに東京近郊にいるメンバーを集めて大会に参加してくれました。その時に今はRoka&Kyudenで活躍している小櫻くんを、誘い現在に至ります。