フットサル世田谷カップ

1995年10月〜96年3月

*素人が企画したフットサル世田谷の第一歩

フットサル世田谷がオープンして半年、登録チームも150チームほど集まり、大会を望む声が非常に多かった時期でした。しかし、サッカーのこともわからず、フットサルの大会自体も盛んではなかった頃ですので、大会を開催しようにもどうやればいいのか、検討がつきませんでした。大会を企画する会社のお話も何社かありましたが、さほど魅力もなく、いずれは自分たちの施設である以上自分たちで企画運営を行なわなければ意味がないと思い、ご利用になられるお客様の色々な意見を聞き、初めての大会を企画しました。

大会内容は月曜・水曜・金曜・土曜・日曜の平日は夜8:00〜10:00土・日は夜6:00〜8:00、8:00〜10:00の時間帯でA,B,Cの3カテゴリーを作り、6チームのリーグ編成で15分ハーフの試合を隔週で行い、各リーグの2位までが、決勝トーナメントに駒を進める方式でした。1番の問題点だったのは、審判をどうするか?ということでしたが、「持ち回りでやればいいんじゃないの」という声が、多数ありそれならやってみましょうということで、大会の告知を登録チームにしました。気になる大会参加費は、15分ハーフ5試合約束及び決勝トーナメント代込みで、平日30,000円土・日35,000円でした。審判持ち回りでこの料金はちょっと高いんじゃないかなとの声もあり、参加チームがあつまるか危惧していましたが、申込み締め切り日近くになると、申込みがたくさん来るようになり、あっというまに100チーム以上の申込みになりました。

ここから、各リーグ集まっているリーグと、集まっていないリーグがあり、調整段階に入り1週間はお誘いの電話と曜日変更の電話かけまくり状態で、何とか114チームのリーグ戦が行なえる形となり、フットサル世田谷初のリーグ戦が開催されました。

何だ この雰囲気は…

リーグ戦第1節は月曜日(LUNEDI)夜8時から始まりました。ゲーム開始15分前に、審判をやって頂く方にお集まり頂き、説明会を行いましたが、自分自身も競技規則をみて、頭では理解しましたが、実際にやったことがなく、具体的なチャージやスライディングの質問に受け答えがしどろもどろだったのを覚えています。無知な事務局員のせいでしまりのない説明会も終わりいよいよキック・オフです。事務局がタイム・キーパーとなり、コート3面のゲームが一斉に開始されます。この時3面の雰囲気をみて背筋が冷たくなりました。普段のコートの雰囲気とはまるで違う空気の張り詰めた人間同士のオーラがうねりまくっているような、今まで味わったことのない雰囲気にコートがなっていました。

通常のコート利用での練習試合風景になれていた自分は正直いって(何でこんなみんな真剣なのだろう、とんでもないことになってしまったな)とまるで他人事のように思っていました。

うわー つよーい!!

リーグ戦独特の雰囲気を月・水・金曜日と味わい少しずつなれてきた頃、あのチームのリーグ戦が行われようとしていました。あのチームについては、大会の組み合わせを作成して悪戦苦闘しているときにさかのぼります。

日曜日の22:00電話が鳴る…

事務局「はい芦花公園スポーツ・プラザです。」

非常に丁寧な口調で「エリースFCの小宮と申しますが、フットサル世田谷カップの土曜リーグに申込もうと思っているのですが…」

事務局「あっそうですか。ちょうど今土曜日曜のAリーグのチームを探していたんですよ(ここで、確かエリ‐スさんは2チーム登録していたのを思い出す。)よかったら2チーム申込まれませんか?」

小宮さん「2チームですか?結構参加費高いのできついんだけど、それと強いチームは集まるの?」

事務局「(エリースさんて強いのかなあと、思いつつもリーグ編成を完成させたい気持ちが強く)Aリーグはかなり強いチームが集まりますよ。かなり楽しめると思いますんで、2チーム申込まれたらいかかですか?」

小宮さん「強いチームがいるならどうかなあ。参加費もう少し安くならないの?」

事務局「(押しの一手)すいません。参加費は安く出来ないんですけど、強いチームは集まりますので、何とかお願いします。」

小宮さん「うーん、じゃわかりました宜しくお願いします。」

決してダダをこねるでもなく、こちら側の無理なお願いにも了承していただきました。

そして、土曜日に強いチームとだけやりたがっているエリースFCが登場したのです。

実際拝見したのは始めてで、どんなもんなんだろうと思いましたが、土曜リーグのエリースは終始和やかなムードで練習試合を行っているかのようにリラックスし、得点を重ねていき勝利しました。その試合を見た時(うまいけどそんなに凄く強いってわけでもないな)

と思っていました。そして日曜リーグもう1つのエリ‐ス・チーム(チーム名はエリース・ラムズ)が登場しました。初戦の相手はミナミ・ぺラーダスターズというチームで、スポーツショップミナミさんの店員さんたちのチームで、帝京OBが数多くいらっしゃるというチームで、何度か練習風景を拝見させて頂き、個々の技術の高さは存知あげていたため、もし、エリース・ラムズさんが強いのなら好勝負になるであろうと考えていました。

審判の説明会がひととおり終わり、エリ‐スのある選手に話し掛けられました。

その方は長髪の端正なお顔立ちのスポーツマンで見た目にもサッカーがうまそうだなという感じの方でしたがとても気さくに話し掛けられました。

ハンサムさん「ミナミって強いんですか?」

事務局「強いですよ、帝京のOBがたくさんいらっしゃいますよ。」

ハンサムさん「うわーっじゃ気合いいれてかないとな…ナッみんな!!」

と他のチームメイトにハッパをかけアップに向かわれました。

そして、試合開始です。

ミナミさんの強さは大会前から評判でしたので、駐車場上のAコートにギャラリーがたくさん集まっていました。

ミナミさんは、深緑のTシャツ生地のユニホームに身をまとっていました。とてもカッコ良くいかにも強そうな風格をかもし出しています。エリースさんは、全身黄色のユニホームだったと思いますが、体格がガッチリしていて、ラクビーの選手のようだと思いました。

そして、ゲーム開始と同時にギャラリーから、どよめきの連続になりました。ミナミさんの技術の高さは知っていましたが、エリースさんがそれに勝るスピードで得点を重ねていきました。個々の技術・スピード・組織力すべてにおいて力の違いを見せつけていました。

ダイレクト・1タッチのパスの精度の高さにギャラリーから、キャーキャーと騒ぐ声援ではなく、男性の低い「ウォッ!!ウワ‐ッ!!スゲ‐ッ」驚きとも尊敬ともとれる声が試合中鳴り響いていました。その後のエリ‐スさんのゲームでは、恒例の歓声になっていきました。

試合は、エリースさんが、勝ち終了後、ミナミさんの代表者の方と話す機会に恵まれたので、感想を聞くと、

「エリースさんは関東リーグのチームだからやっぱり強かったですね。ただうちもベスト・メンバーじゃなかったのが、残念です。」

と大変さわやかにお答え頂きました。

関東リーグ?関東リーグって何だ?と疑問を持ち他のお客様に聞いたところ、Jリーグ、JFL,それで地域リーグで、関東リーグになるんだよ。と教えて頂きました。それでもよくわからなかったのですが、強いことには変わりないんだな、申込まれた時に偉そうなこといってしまってまずかったな…と少し後悔しました。

持ち回り審判の難しさ…

リーグ戦も序盤を過ぎ、順位争いがしれつになってきたころ、問題がじょじょに表面化してきました。それは審判員の問題です。その頃各チーム持ち回りで、第1試合は第3試合を行うチームの方、第2試合は第1試合終了されたチームの方1名にお願いして謝礼でテレホンカードを差し上げていましたが、プレーヤーもフットサルというゲームに馴染みがなく、事務局も大変申し訳ないことに、無知な為、リーグ戦中掴み合いになってしまうようなゲームも出てきました。それでも審判をやっていただいた方々は真剣に取り組まれ、試合をセーブしていただいたと思っております。ただ、審判をやって頂いた方からは、1人ではキツイとの声が多く、出ていました。ちょうどその頃スケジュール調整で1面だけでリーグ戦が行なわれる時があり、じゃ自分が体験してみようと思いました。

自分自身も審判はやったことがないのですが、ルールは熟知していたつもりですし、かなりシビアーにファウルを取ってやろうと自信を持って挑みました。 が、試合開始のホイッスルを吹いたあと、(あっ、今のファウルかな、嗚呼もうプレーがどんどん進んじゃってる、あっまたさっきと似たようなファウルだよ、さっき吹けなかったから吹けないなあ、あっアピールしている、目そらそ…)と心の中でつぶやきほとんど何も出来ないマグロ状態で1試合目が終わってしまいました。そして、反省する間もなく、第2試合開始です。(駄目だ!どうやってゲーム見ればいいんだ?何か心臓がバクバクしてるよ…)相変わらずのマグロ状態で途中疑惑のゴールがあったのですが、ちゃんと確認も出来なかったのに、ゴール判定にしてしまい、アピールにも目もくれず史上最悪の審判となりました。そして、3試合目もほとんど自己嫌悪状態で声も出せない、笛も吹けないただの得点を付ける係のまま、3試合が終了しました。ゲーム自体はこんな審判では荒れて当然なのですが、フェア‐にプレーして頂き、審判への文句もなく、終了しましたが、あの時の6チームの方々には誠に申し訳なく思っております。本当に申し訳ありませんでした。

そして、参加されている方で審判をされた方も自分と同じような思いをされたのだろうな。申し訳ないな。と思い、決勝リーグからは2人で、決勝トーナメントは審判を派遣しようと思い決勝トーナメントだけ審判を派遣しました。それでも1面1人でやって頂いたので、大変な苦労があったでしょうが、非常にうまく試合をセーブされていたと思います。

全日本フットサル選手権と較べて…

リーグ戦も途中問題が起きましたが、参加された皆様が非常にフェア‐であった為、何とか終了し、決勝トーナメント開催となりました。6チームリーグの2位までが決勝に駒を進めるため、とても短期間で終了するものでもなく、金・土・日に決勝リーグを開きその後、決勝トーナメントを行なうようにしていました。決勝だけで1か月を要した大会でした。そして3か月に及ぶ大会の最後の決勝トーナメント開催の日となりました。1回戦2回戦は15分1本でおこなったと思います。そして、2月11日の2回戦で再びあの試合が行なわれようとしていました。日曜リーグを他のチームを寄せ付けずに強烈な強さで勝ちあがってきた、エリース・ラムズさんと、エリ‐スさん敗戦後は、順当に勝ちあがったミナミ・ぺラーダスターズさんとの対戦です。長いリーグであったこともあり、エリースFCさんの強さはこの頃Aリーグで参加されていたチームで知らない人はいなく、各チーム打倒エリースの様相を呈していました。ちなみに監督さんからお伺いしたのですが、エリースFC東京に1軍メンバーをエリースラムズに2軍メンバーを参加させていると聞きました。しかし、両チームとも強烈に強く、決勝は兄弟対決になるのだろうと思っていましたが、この時のミナミさんは強かった…あの早いエリ‐スの攻撃を上回るスピード・ある選手の脅威的なドリブル突破などで、勝ったのでした。また、もう1つのエリ‐スさんも、苦戦をしいられる場面が多くなっていましたが、勝ちあがっていきました。

そして2月12日決勝戦を向かえます。決勝戦はミナミ・ぺラーダスターズとエリースFC東京さんとの戦いでしたが、実は自分自身その後の表彰式の準備に追われあまりゲームをみていませんでしたが、エリースさんのゲームでは恒例になっていたギャラリーの発する低音のうなり声がずっとしていたのは覚えています。そして、ギャラリーの方からこんなことを言われました。

ギャラリーの人「今日、有明で全日本選手権があったのだけど、そんなに変わらないねぇ。

ただ、優勝したチームはゾーンで守ってカウンターというのを徹底していたな…」

と、おっしゃっていました。そうです、ちょうど時期を同じく有明では、記念すべき、第1回目の全日本フットサル選手権を開催されていたのです。今のようにフローリングの体育館ではなく、当施設と同じ人工芝の上で開催されていました。

自分としては、第1回目の大会を観戦した訳ではないので、実際どのようなレベルであったのか判りませんでしたが、うちの施設でプレーされている方が、全日本の大会に参加したら、どれくらい出来るのかみてみたいなあ…と心の中で思うと同時にどうやって全国大会に参加できるのだろうと疑問に思いました。確かこの頃は、日本サッカー協会に登録されているサッカーチームではないと参加出来なかったと思います。今現在は裾野を広げられ、一般公募から参加出来るようになっています。

話は戻り、決勝戦の結果エリースFC東京さんが見事優勝されました。2位にミナミぺラーダスターズ3位に河童蹴球団という結果になりました。

そして、この114チーム参加の大会を素にフットサル世田谷ワールドランキングを作成し、現在に至ります。

この大会を振り返り現在と較べると、大会中の参加チームに配布する注意項目にもさかんに「固定式スパイクの着用は禁止します。」と書き記していて、参加されたチームのプレー・スタイルも「フットサル」は体を接触させたらファウルになるな、オフサイドはないな、スローインじゃなくて、キックインなんだな、ぐらいの理解でプレーされていたチームがほとんどで、戦術も個々の力での勝負を前提にペナルティエリア付近で崩して得点をすることをイメージするチームが多かったように思います。そして、サッカーのうまい選手がフットサルもうまい選手であり、文中にもありましたが、強い高校のOB、もとJリーガーなどが存在するチームが強いチームでしたし、強いチームのほとんどがサッカーもプレーしていて、時間のあいた時にフットサルを楽しんでいるチームが多かったと思います。実際にサッカーのうまい選手はフットサルのうまい選手であることに間違いはないのですが、より、フットサルに適したスタイル、そしてチーム戦術を取り入れていくチームが存在するようになったのは、当施設では、最近になってからだと思います。

まだこの頃は、フットサルに対する情報が少ない時代であり、参加されるチームの方も、運営側も手探りで開催した大会でした。しかし、「フットサル」という競技に対する熱意・意欲の強い方が多くいらっしゃりその後の、大会運営につながる非常に有意義な大会でした。

また、参加されたチームの方も、非常に紳士的な方が多く、前向きな転換・発想をされる方が多いことに驚きました。これは、フットサルが個人競技ではなく、団体競技であることが個人個人の協調性につまがり大変好感のもてる方が多く存在する要因であると思いました。

そして、運営する側も大会の魅力にとりつかれつつ、その後の大会を開催していきます…。